人柄診断
【長崎県】
長崎県は、鎖国政策の敷かれた江戸時代にあって、唯一、外国との交易を許されていた県です。この海外との交流地となったことは、長崎県人を語る上で見逃せない歴史的な背景といえます。
日本の常識は世界の非常識といわれるくらいに、私たち日本人は外国文化に疎く、それは二一世紀を迎えたいまでも同じような状態です。海外旅行といってもアメリカのなかの日本といわれるようなハワイが圧倒的というのですから、国際的な感覚を身につけるまでには、まだ少し時間がかかりそうです。
しかし、長崎県人は昔から外国と交流があったために、あまり外国人に対して違和感を感じておりません。四〇〇年前にポルトガル船が入ってきたという以前から、東南アジアや中国、朝鮮などと交易がありましたし、戦前までは上海直行便まであって、それは外国との交流は華やかでした。
そのためでしょうか、長崎県人の気質は開放的で屈託がありません。外から入ってくるものは拒まず、すぐに受け入れてしまいます。隠れキリシタンが多かったのも長崎県人ですし、カステラなどの洋風の食べ物を全国に伝えたのも長崎県人です。
《○》日本のなかでも、とくに食事を楽しむのがうまいのが長崎県人です。長崎へ遊びに行きますと、いろいろと変わった食事を楽しめる店がたくさんあります。代表的なのは長崎ちゃんぽんですが、味は店によってすべて違いますし、それぞれに盛りつけにも工夫があって、これ一つで食べ歩きが出来るほどです。これは中国人との長い交流から豊かな食文化が身についたのだと思われます。
《●》新しもの好きな長崎県人ですが、組織的に動くということが苦手で、少し個人主義的なところがあります。誰が何を言っても我が道を行くというタイプが多く、県民としてのまとまりがありません。昔から外国との文化交流が多かったわりには、戦後、そのお株を大阪や東京に奪われてしまったのは、このへんの県民のまとまりのなさが挙げられそうです。国際都市だった往時を思い出して欲しいと思います。
我が道を行く有名人としては、まずマルチ芸能人の美輪明宏を挙げたいと思います。その自分を開放した素晴らしい生き方は、国際人としての資格十分です。身体を張った生き方でいえば、プロレスラーの大牟田厚が長崎県人です。漫画家では蛭子能収、作家では村上龍などが挙げられます。それぞれにひと味違っているのは、長崎チャンポンの影響でしょうか。
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