人柄診断  【東京都】
■下町っ子
まず、初めに下町の東京人について考えてみましょう。
東京の下町といえば、映画でお馴染みの「寅さん」を思い出します。しかし、現在の下町にその面影を探そうとしても、そう簡単には見つかりません。映画の舞台となった柴又あたりでも、近所づきあいはかなりクールになっています。下手に人情を期待するとガッカリすることになります。
下町の気風を残していると思われるのは、隅田川端の向島あたりでしょうか。ここに長年住んでいるIさん(72)は、いまも食器の金型職人として現役で頑張っておりますが、寄る年波に勝てず休むことが多くなり、心配した息子が引き取ろうとしたところ、「お前に面倒みてもらわなくったって、ご近所があるよ」と取り合わなかったといいます。
息子さんは立派に大学を卒業して一流企業に勤め、神奈川県の藤沢市に新居を構えておりますが、Iさんにすれば「いまさら藤沢なんぞに住めねえ」ということらしいのです。米や味噌の貸し借りはもちろん、冠婚葬祭の付き合いもすべて隣近所で済ましてきたIさんにとって、この地域は家族そのものなのです。ここを離れることは、家庭を捨てるようなものなのでしょう。ただ、息子さんが引き取るといってくれたときは本当に嬉しかったようで、表向きは憮然としていながら、息子が帰るとすぐに近所の皆さんに自慢して回ったといいます。この素直でない頑固さは、下町っ子特有の気質といえます。
《○》下町の路地を歩くと、家々の前にさまざまな花々が鉢植えされて並んでいます。密集地のために庭付きの家などは少ないですから、どうしても道路にはみ出てきてしまうのでしょう。しかし、それ以前に自分の生活圏を花々で飾りたいという気持ちが強いようです。その優しい思いやりは、他から入ってきた人にも同様です。とても開放的なので、非常に付き合っても楽しく愉快です。
《●》しかし、下町っ子を理解するには、自分もおおらかな気持ちを持っていないと、意見がぶつかり合うことになりますので注意が必要です。気の強さや言葉の粗さ、そして気短な面もあって、何度か大喧嘩でもやらかす覚悟がないと、本当に理解できないかも知れません。
江戸っ子気質の代表格は落語家の立川談志です。あのひねくれた性格はなかなか馴染めませんが、すべては「はにかみ」から来ているもので、素直に表現するのが照れくさいだけなのです。根は優しくて人情味があるのです。
有名人で言いますと、ビートたけしや木の実ナナなどはどうでしょうか。お二人とも下町っ子の気質が残った方たちです。どちらもガキ大将タイプで、さっぱりした性格をしています。いかりや長介や伊東四郎なども下町っ子ですが、その共通項は人の良さということでも認められます。

■山の手
バブル全盛期のころ、山の手地域はバブル紳士たちによって随分と浸食されました。この勢いでいくと、山の手地域はすべて彼らの札束で乗っ取られるのではないかと思っておりましたが、いまは酒宴の跡といった感じに、空き地や空き家となって山の手から去っていきました。
旧山の手はもともと武家屋敷があったところですので、その後に住み着いた人たちは明治維新に活躍した地方出身者が多かったようです。いわば新旧政権の官僚たちなどが混在していた地域といえるでしょう。
これに対して新山の手は、東京で財を成した人たちが広い敷地の家を求めて住み始めたところで、東京でも庭付きが当たり前の地域です。いまはバブル崩壊や財産分与などによって土地の切り売りが始まっていますが、優雅な暮らしをしていることには変わりありません。
この裕福な層が新旧山の手を占めていましたので、「ざあます言葉」といった上品な会話が日常交わされています。いまは少なくなったといっても、やはりその品の良い喋り方は山の手特有のもので、敬語の使えない若者たちは、とても山の手で彼らとお付き合いを交わすことはできないでしょう。《○》山の手っ子というのは、とてものびのびしていて屈託がありません。典型的なお坊ちゃま、お嬢ちゃまですから、何ごとにも余裕があってガツガツしたところがないので、人に好かれるという特典がついて回ります。これは育ちと環境ですから、一朝一夕に真似できるものではありません。《●》しかし、人を見下すような小馬鹿にした態度を無意識にとるところがあって、本心から付き合おうという、真の友達が少ないといわれます。また、ちやほやされて育ってきていますので、社会の厳しさというものに鈍感で、そのため人に騙されやすいという性格があるといいます。
山の手地域を歩きますと気づくことですが、高い塀に囲まれた家々は、まるで来訪者を拒んでいるように見えます。その閉鎖的な環境では、下町のような隣近所の付き合いなどは育ちようがありません。この辺でも下町っ子と山の手っ子が大きく異なっていることがわかるかと思います。
有名人では、女優の池内淳子、トレンド俳優の石田ゆり子とひかり姉妹、二代目俳優の宍戸開や高嶋政宏、二枚目役の風間杜夫といったところが挙げられます。彼らはすべて新山の手の世田谷区出身者です。お坊ちゃま、お嬢ちゃまというだけではなく、何か共通項がたくさんありそうな方々です。

■三多摩地区
東京都と言っても三多摩地区は、武蔵野の自然がまだ色濃く残っている地域です。ただし、都心に近い三鷹市から国立市あたりまでは、東京人という自覚がありますが、それより西側の八王子市や青梅市あたりになると、東京人というよりも、八王子市民、青梅市民といった別の郷土意識が強くなっています。
現在は東京のベッドタウン化が進んで、千葉県と同様の地域開発が進んでいます。ただし、千葉県が幕張のようなハイテク企業を集める新都市に生まれ変わろうとしているのに対して、三多摩地区は学園都市に生まれ変わろうとしています。都心の一等地にあった大学の多くは、この地域に広大な敷地を求めて引っ越してきております。《○》三多摩地区の東京人は、おだやかで素直な性格が多いといいます。他の東京人と違って根性や頑張り、粘り強さがあります。これに忍耐強さを加えますと、東北人の気質に近いものを感じてしまいますが、そこは東京人ということなのでしょう。性格はカラッとしていてじめじめしたところがありません。《●》性格的に純朴さを残しておりますので、友人として付き合うには非常に信頼がおけるのですが、都心へ遊びに出てキャッチセールスなどに引っかかり、被害を被るのは三多摩地区の東京人が多いといわれています。同じ東京都ということで警戒心が低いからではないかと思われます。
ところで三多摩地区の特徴と言いますと、東京を代表するJリーグ選手に、この地区の方々が多いということです。たとえば、ベルディの北沢豪や林健太郎は町田市といったように、有名どころの選手の三分の二は三多摩地区出身なのです。
ちなみに、有名なプロ野球選手では、下町っ子出身者と三多摩地区出身者が大半を占めています。山の手の選手では阪神の野村監督の息子、カツノリ(世田谷区)と数人くらいしかおりません。
これに対して、F−1レーサーの片山右京や鈴木亜久里、パリダカのラリードライバーの篠塚健次郎などは、すべて山の手出身者です。このように見てくると、東京人と言っても、一概に性格や気質は決められないことがわかります。
もし出身を東京と聞いたならば、まずは「東京のどちらですか」と尋ねなおさないと、判断を誤る原因にもなりかねません。

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